正しいとは、正しく生きて何の意味がある
さとうみつろうさんの「悪魔とのおしゃべり」を読みました。
さとうみつろうさんの本、好きなんですよね。
当たり前のことしか書いてないんですけど、当たり前のことも言う人が違えば表現も違う、体に落とし込むやり方も違います。
シンプルで身近な言葉をあの手この手を使いながら書かれているので心にも思考にも入ってきやすいと思います。
ぜひ読んでみて欲しいですね。
「正しい」の謎
この本ですね、「正しい」とは何か、という事を何度も問いかけてきます。
生まれた時から今の今まで、人は正しさを教えられ、正しさを良しとする世界で生きてきました。
これは正しい、あれは正しくない。
これが良い、あれは悪い。
正しさを教えられ正しいことが良しとされる世界にいながら何故人は一人残らず皆ハッピーに生きていないのでしょうか。
何故悩み苦しみ不幸だと感じる人が出てくるのでしょうか。
正しさばかり教えられているのに、不思議だと思いませんか。
「正しい」とはなんぞや
そもそも正しいとは何でしょう。
私たちに初めて正しさを教えてくれるのは自分たちの親という人たちでしょう。
自分の子供がすくすく健やかに育ち幸せになってほしいと願いながら、自分が正しいと思う価値観を植え付けていきます。
そして親も人の子ですから、自分が正しいと思っている価値観もその親の親の価値観だったり、自分が生きてきた中で信じてきた正しいことを出し惜しむことなく子へと伝えていることでしょう。
そこで親の言うことが全て正しいと思っている人はいないと思いますが、全て間違っているとも思っていないと思います。
では何が正しくて何が正しくないのかって話しですよね。
人はなぜ自分を責め苦しむのか
正しい事を教えられ、正しく生きているはずなのに、悩みがゼロという人はいないでしょう。
何故でしょうね。
そして、こんな正しい世界にいるので、少しでも正しくない事をしたり言ったりすると責められ、非難される事もあります。
そんな時、自分を自ら責めてみたり凹んでみたりしてしまう人は多いのではないですか。
なぜ自分はあれやこれができないのか、なぜ自分は人とは違うのか、なぜ正しく生きているのに満たされないのか。
なぜ正しく生きているはずなのに、全てが完璧ではないのでしょう。
それは、世間が言う「正しい」ということが「無い」ということです。
世に言う正しさとは、世間が作った正しさでしかないのです。
正しいなんていうものは無いという事に早く気づいちゃった方が楽だと思います。
ですが正しい事が全く無いという訳ではなく、正しさがあるとすれば、それは自分の中でのみ生まれます。
正しさとは自分でしか決められないのです。
それ以外に正しいことなどないのではないでしょうか。
自分にとっての良し悪しを他人にとやかく言われることはないのです。
堂々と自分の思うがままに生きていけばいいんです。
本当は。
ですが、何せ生まれた時から正しい攻撃の中で育ってきたのですから、すぐにその考え方を変えることはできないでしょう。
目の前の「それ」を「それ」にしているのは自分、「そう」見たいから「そう」いう世界になっている
真の正しさは無いと言いました。
正しさとは自分の中にしかないとも言いました。
正しいとか正しくないとかいうものの見方は自分の判断でしかなく、自分でしか決められないものです。
目の前にある同じ現象をある人はハッピーと感じ、ある人は超絶不幸と感じる。
自分が見たいように見え、感じたいように感じ、したいようになる。のが現実です。
現象は現象でしかないのですよね。
それをハッピーに感じたければハッピーに感じます。
ですが中には、ハッピーに感じたいのに感じられない、私は不幸だという人がいますよね。
それは自分が不幸だと既に思っているからに他ならないというか、自分が不幸だと思う以外に誰も自分を不幸にはできないんですよね。
不幸だ不幸だと言いながら自分で不幸を引き寄せていることに早く気づいて、一刻も早く止めた方が良いですよね。
いや、でも、私は一度もハッピーと感じた事が無いというあなた。
それは「一度もハッピーと感じた事が無い私」という自分になりたいので、現実がそれに合わせてくれているだけなんですよね。
正しさも同じこと。
自分の事や自分が見ている現実の正しさというものは、結局のところ自分でしか決められないのです。
他の人も、その人が正しいと思えばそれが正しいのです、その人にとっては。
なので、本来人の事の正しさについてとやかく言うことではないのです。
まずはそこから、自分は自分で作っているという事に早く気づく事です。
じゃあ戦争は正しいのか、人を殺した人は正しいのか、そういったツッコミは子供のすることなのでやめて下さいね。
ただ、手段を間違えているだけに他ならないと私は思っています。