平成最後のBORN TO YOGクラス
今日で平成が終わる。
世間の騒ぎ方に比べたら、私のこの興味のなさもどうかと思うが、私と同じような人は少なくないと思う。
明日から元号が変わることは日本の歴史の中では大きなことなのかもしれないが、今を生きる人たちは、目の前の生活や仕事がやっぱりあって、今やらなければならない事をしていると、歴史的に大きなことも今日といういつもの1日の中の些細な出来事のように扱ってしまうのかなと思う。
普段の生活の中で元号は自然に変わっていく。
特別なことではないのかもしれない。
特別なことではないから、騒いでニュースにして、特別なことに仕立て上げているのかもしれない。
平成最後のBTYクラス
世間はゴールデンウィークの真っ最中ですが、Engawa Studioは休まず営業しています。
そして気にしていなかったけど、平成最後のクラスも無事に終了しました。
終わってから、
あぁ、平成最後のクラスだったんだと思ってみました。
そんな今日のクラスも良い意味での思いつきクラスでした。
BORN TO YOGのクラスの基本的なシークエンスは決まっていますが、今日どんなクラスをするか、どんなシークエンスにするかは、当日のクラスに集まった仲間を見て決めています。
なので丸々全部同じシークエンスだったことはただの一度もないと思います。
前にやったクラス内容を覚えているということもないし、覚えている必要もないと思っています。
その時、そのクラスに集まった人との時間を大切にしているということです。
なので、今日も普通の、いつもと同じ、奇をてらわないクラスをしました。
とてもいいクラスでした。
どんなクラスだったか
今日は朝7:00からの人数少なめのクラスだったので、みんなのやりたいを優先しました。
BTYに限らず、成長にはある程度の遊びが必要と考えています。
遊びの中からでしか学べないこともあると思います。
今日も幾つかの思いつきと、みんなに必要な動きを入れながら、みんなのやりたいをやりつくしました。
思いつきの一つ、壁ブリッジからの足上げ。
なかなか上がらないものです。
なので足を押して壁につけてみました。
楽に押してつく人、結局つかなかった人、いろいろでした。
背中の柔軟が必ずしも必要かと言われれば、そんなこともなさそうでした。
今日集まった人たちは新しい動きをする、それだけで楽しく感じてくれるメンバーだったのでこんな思いつきの遊びも受け入れて真面目にやっていましたね。
嬉しい限りです。
そして最後にはみんなやりきっていきました。
今思うと、誰かの平成最後のクラスに少しでも彩りをプラスできていたら嬉しいなと思うばかりです。
元号と西暦と
みんな一度は思ったことがあるんじゃないかな。
元号と西暦なんで二つあるのか、どちらか一つでいいんじゃないの、正直使い分けるの面倒、とか。
確かに私もめんどくさいし、今何年だっけ?と何回も何回も思ったことあります。
でも、元号を廃止した方が良いとは一度も思ったことはないです。
私は日本が好きだし、生まれてきた時からある元号、私は昭和生まれなので昭和には何故だか愛着があるし、元号はとても素敵な文化だと思う。
そして、人は何故か私も含め、効率化を求めてしまう。
単純作業はより効率化を求めて、どうやったらもっと仕事が早くできるか、リズムよくできるか考えてしまう。
仕事をするというよりも、仕事をすることによって他の大切な何かを考えなくて済むからあえて集中して仕事をするということを選んでいるのではないかと。
まあこれは考えすぎだけども。
私はBORN TO YOGを教え伝えることを生業にしていて、先生業と言うものをしていると思うことがある。
面倒なことは面倒なままでいいんじゃないか、と。
面倒なことでしか手に入らないことは沢山あります。
もちろん、何でも簡単に手に入っていいんです。
いいんですけど、ね。
面倒なことを経てでしか手に入らないものがたーくさんあって、それを経験することによってその人の人生をより豊かに、そしてカラフルにするのではないかと。
それが正解とか間違っているとかはもちろんないけども、何かそっちの方が楽しそうな気がする。
ただそれだけ。
楽しそうがなーって、だから面倒なことを是非に経験して欲しいと思っています。
終わりに:明日から令和
携帯でもPCでも「れいわ」と打っても「令和」は一発変換で出ないけど、それもきっと今のうち。
全てのことに人も物も慣れていきます。
慣れる前、耳にも口にも親指にも違和感はまだあるけど、これもどんどん慣れていくのでろう。
半年もしたら絶対慣れる、必ず慣れる。
それが世の常。
慣れる前の違和感でしかない今の感覚を記録しておこうと、このブログを書いている、つもり。
今も昔も文章を書くのはとても苦手で、早く文才の金脈を掘り当てたい。
そんな日は来るのか来ないのか。
そんなことはどっちでも良いのだ。
できてもできなくても、その面倒くさい過程がとても大事なものだからだ。
明日からの令和も面倒くさいことを続けていく。
人生をカラフルにしていくために。
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