他意なく生きるのは難しい、でも何かしなきゃ何も始まらない
みなさん、他意なく生きていますか。
他意なく生きるって本当に難しいことだと思います。
今の時代右向いても他意、左向いても他意だらけ。
難しいからといって、避けられないものだからって何もせず今のままでいいとは思いません。
じゃあどうしていけばいいんでしょう。
何が正解とかこれが正しいとかはないと思いますが、それでも何かせずにはいられないものです。
他意って何
他意って分かりますか。
分かるよって人はすみません。
読んで字のごとくなんですが、他の意ですね。
言っていることややっていることが、思いや考えとは違うということと解釈しています。
私はこの他意はイコールごまかすという言葉にすると考えやすく分かりやすいです。
この他意ですが、まあ言われてみればそんなこと日常にたくさんあるんですが、他意という言葉を理解して意識し始めると、なんとこの世は他意に溢れているか。
他意イコールごまかす。
この世の中、ごまかして生きている人がなんと多いことか。
何をごまかしているかって、もちろん、自分ですね。
自分をごまかして生きている人が多いということです。
何気なく生きていると周りには他意が溢れているので、気をつけないと自分も他意まみれになってしまいます。
例えば、友達とご飯食べる時に何食べるって聞かれて、何でもいいよって答えるアレですよ。
本当に本当に何でもいいよって言うならそこには他意はないですよね。
でも、少しでも何でもいい以外のことを思っていたら、
何でもいいけど、和食よりは洋食がいいなとか。
何でもいいけど、あんまり遠いお店には行きたくないなとか。
それも他意?
そんなことまでって思うかもしれませんが、これだって十分立派な他意ですよ。
他意って悪者?
他意は人を蝕みます。
些細なごまかしでも自分自身を傷つけていきます。
他意は嘘やお世辞、怒りや妬み、諦め、謙遜という形で表に出てきます。
簡単に見破れない他意もたーくさんあります。
これら全て体に悪そうですよね。
どんなに小さくても、ごまかしは体の中に溜まっていって、それを続けているとどんどん大きいものになっていってしまいます。
そして自分でも何が他意で何が本意か分からなくなっていく頃には、体も悲鳴を上げているはずです。
ずっと取れない体の痛みありませんか。
年のせいでも、動きすぎのせいでもなかったとしたら、自分をごまかし続けた代償なのではないかと思います。
そして、自分が他意だらけですから、そうなってくると他人の他意にも気付かない、もしくは何も感じなくなってしまいます。
それか、あからさまに他意だらけのものに気づいても何も言わなくなっていく。
そんなかな悲しい事態になっていってしまいます。
じゃあ、どうしていこうか
他意は何だかよく分からなくても、何となく体にも心にも悪そうな気がしませんか。
私は体に悪いことしかないと感じます。
体だけでなく、自分自身や周りの人も困惑させていってしまうと思います。
じゃあ、どうすればいいか。
答えは簡単、自分をごまかさないで生きていくことです。
簡単なものが一番難しい。
そうなんです。
今までそんなこと意識して生きてこなかったと思いますから、意識することすら難しい。
でも、きっとみんな気づいているけど見ないふりしていることもたくさんあると思います。
まずはそこからでいいと思います。
自分の気づいたところから他意をなくしていく。
何食べたいか聞かれたら、素直に思っていることを言ってみる。
そして自分の他意にも気づいていく。
自分の他意を見抜くというのも大事です。
ついつい感情的になってしまった時や、余裕がない時に現れやすいと思います。
怒りや焦り、それは一体どういった自分の気持ちから出たものなのか。
そこをごまかさないで、見過ごさない。
丁寧に生きていくということになるんでしょうか。
ざっくりしていますが、そういうことだと思います。
最後に:直感を信じてみる
直感を信じてみるというのが結構大事なんじゃないかと思います。
他意ある人の発言や行動って何か嫌な感じがするものです。
あれ何かおかしいなとか、何か腑に落ちないなとか、感じるもんです。
人のことだけではなく自分にも当てはまります。
常に疑いの目で見ろという事ではなくて、気付いてあげるという感覚ですかね。
自分の言動に少しでもザワザワしたらその直感に従って、他意があるかもしれないと思ってみる。
自分のことも、これは本当に思ってることなのか、本当は何が言いたいのか、何をごまかしてるのか、気付いてあげるのがいいのかなと思います。
私もまだまだ他意だらけだと思いますので、少しずつ減らしていければと思っています。
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